愛だろ、愛

会社で隣りの席にいらっしゃる我が上司様は最近お子様がお生まれになりました。
最近はお子様の写真を取っては会社の閲覧可能サーバーにアップしその溺愛っぷりをアピール。
全く微笑ましい光景に隣りの俺までファンシーな気持ちに一頻りです。


そして自分は果たしてこのようなシンパシーに目覚める日は訪れるのか、と思ってみたり。
日々の速さに翻弄されている自分に果たして真実の愛が見つけられるのかと。
埋没してしまった愛という名の感情を呼び起こす日がくるのだろうかと!
ああ、恋がしたい、恋がしたい、恋がしたい…


会社に行くがてらの道ですれ違うカップル、小さな子供をつれた親子、共にゆったりした歩幅を
刻んでいる老夫婦。愛はそこら辺に落ちていやがります。
何てみんな幸福そうなんでしょうね、どうして俺にはそれが感じ取れないんだろう。
世界中でただボク一人だけが許してもらえないような気分、ってこんな感じ?


でもボクはただ寂しさを埋める手段として恋がしたいのかもしれない。
でもそれが何が悪いのよ、いいじゃないそれでも。だって寂しいんですもの。
寂しいからみんな愛を探すんですよ、そうですよ絶対。
だからお互いを確かめ合う手段を「愛し合う」って言うんだ。
互いが互いを感じ取り、互いが互いを認め合う作業。
ボクだって誰かと感じ合いたいんだ、お互いの愛を認め合う作業をしたいんだ。


泡のように時が溶けて消えてそれでも残る愛は偉大だ。
そんな愛をいつかボクも見つけることが出来るんでしょうか。誰か早く教えてください。
誰か早くこの寂しい心を奪っていってください。一刻も早く…



っと、いうのを桜木睦子のDVD見ながら思いついた。愛を夢想する作業って案外そういう時だ。
ああむっちゃん…カワイイよむっちゃん…