青年は荒野を目指す

上のような美貴cの素晴らしいウール姿が納められている日曜のハロモニをいまだに見ていない
この心の苦しみをどうしたら晴せられましょうか。
精神的に忙しい、などど言うと大層な感じになりますが、いやいやあながちそうであって。
社会生活を営んでいる以上何かしら拘束的なものに出くわす事がありますが
ここ一週間ほどはその心の静動が激し過ぎて若干疲れきっています。


ホリエモンが出演していた土曜日のNHK討論番組を見ていて気がついたのは
思ったより自分の持っている社会的感覚は、ずっと日本の中で培われた感覚が強くあって
あの番組に出演していたフリーターや政府組織の要人やまたホリエモン的なところが
どうも感覚的に分からない部分が強かった。自分は新人類(古っ)って思ってただけに。
あの番組を閉鎖的にしか見えなかった自分に最も意外性を感じた。同調出来ない。
でもそれは肯定的な感覚で終わるようにしておいた。
自分の感覚を否定したくない、というよりは、自分の中にある日本人的な感覚を否定したくない
部分が強いか。親やそのまた親や、大きく言うと日本そのものを否定しくないというか。


あのフリーターを否定する事は俺には出来ない。また自分も彼だからであって
彼の持つ憂いは俺の憂いでもあって、社会全体の憂いだからだ。
今を憂いでしまうのは人間の特権だけど、とかく現代人は憂ぎ過ぎだ。
そんなに世界は新しさを求めているわけでもなく、根底には他者との相互理解に切磋琢磨するのは
キカイ文明が発達した現代においても変化しない人間の憂いだ。
あのフリーターの人生観や無常感を今更殊更にピックアップして、さも現代の憂いのように
写す事があの番組の主なる目的にしか思えてならない。なんの啓蒙番組だアレは。


Berryz工房の握手会に4000人近く集まってしまう暴力性はなんだろうか。
別段に時代は彼女達を必要としているようにも思えないし。ハロプロにも言えることだけど。
ただあそこに集まった4000人にだけあるBerryz工房は確かにそこにあって
それだけを求めてくる奴がたまたま4000人いただけの真実なんだけど
そのずれた感覚を持つ奴等を無下に思う自分の感覚をまた否定するのもはばかれる気がするのは
俺もまたあの番組のフリーターと同じ感覚に陥っているだけなのかもしれない。
人間の優劣という格差を見る錯覚に陥っている自分の愚かなる感覚に。


あー、もうとにかく疲れている。考え過ぎだ。今日はこれからまた一代イベントがあるってのに。
みんなで考え過ぎるのはやめにしようぜ。
ただ藤本美貴が可愛い、という感覚さえあれば、それだけでいいじゃないか。