馬鹿なモーヲタ・利口なモーヲタ

一昔前の娘。ってのは一曲一曲に新曲発表からリリース後まである程度ストーリーが
あるように思えた。それが気薄になってきたのはいつ頃からだろう。


最も劇的に思えたのは「The ピース」の頃。
色んな意味で貧弱メンバーだった石川の今日まで続くサクセスストーリーの
始まりであるこの曲の発表時は、「梨華の時間」の文章から始まり
狼でも次世代の娘。の形を見たと思うヲタの書きこみと高揚感が気持ちよくて
それが石川とのちに続く吉澤センターのミスムンまで感じ取れたのは
やはりその頃の娘。の一曲一曲に重い思いがたくさんあったからだと思う。
ヲタも中澤喪失後の娘。に危機感を覚えつつも、やはりピースが
石川をスターダムに押し上げる原動力になるほど良曲だったのを
感覚的に分かっていたから面白くまた期待できたんだろうね。


俺はコンサートには行かないヲタスタイルをどこか自分で利口とし
コンサートでギャアギャア騒ぐヲタをどこか蔑視していた節があって
別にそのスタイルは今もあまり変わってはいなかったりするんだけど
それでも昔の嫌悪感と今の嫌悪感とでは若干認識が違ってきてて。
それはやはりコンサートである以上そこで繰り広げられる楽曲が
昔と今とで大分開きがあるからじゃないか、と思う。
誰しも自分が好きになる音楽だったりアーティストだったりは
ある時期を境に自分が求めていたものとは違った形になってきて
そこでハっと熱病が冷めてしまうが如く沸点が下がってくるのを感じる。
そのきっかけはやはり「楽曲の変化」が大きな部分だと思う。


でも娘。の場合はアイドルポジションがその熱病をなかなか冷ましてくれなくて
ヲタはまた熱病にかかるためにコンサートに通う。
熱病は思考を麻痺させ感覚も鈍らせる。
本来楽曲ありきな部分が、追い掛ける対象が変化していく。
抜け出せない熱病にかかりっきりになる。


全てのコンサートに行くヲタがそうだとは思えないけど
やはり感覚的に昔と違うものをヲタにも見てしまう悲しさ。
その不安がぬぐえないのが、ハロモニの「The マンパワー」を見た感想だった。