少女性と処女性は結びつかない

こんな子近所にいた

今週のハロモニを見ていないので確認していないんだけど、亀井が髪の色を変えたとか。
狼を見ると彼女の少女性の失落を嘆いているヲタも多い。
黒髪=少女の象徴の固定概念の違和感を声高に叫ぶつもりもないけど、
亀井大好きっ子に少女性を求めていたヲタがあまりに多かったことにちょっと異論を唱えたい。


多分、少女性の喪失を嘆く大きな要因として挙げられるのが流行の迎合化なんだろうか。
染髪と言う一種の社会的な流れにその身を染めてしまうことによる神秘性の消去。
それが年端もいかない少女に照らされてみると、社会とは離れた次元にある彼女等に対する
逃避から、現実に戻されてしまうという嫌悪感。愛したものにより引き戻される現実。
それと、自身の愛した美意識の欠如と、しかし眼前に見える自信の愛した美意識の欠落した
慣れの果てに激しいギャップを感じるという矛盾。気持ちは分かる。


でも本来、その少女性は失われる運命にあったわけで、それを目撃したくなかっただけで
実はボク達がカノジョ達に出会ってからそれはすでに内包されていた現実としてあって
ただ目の前のカノジョ達はその少女性を脱却するにはまだ次間があった。
その次間をボク達はただただ楽しんでいただけなんだ、て。


しかしボク達はカノジョ達がまだ少女期にあった時期の「処女性」を抱えていくことは出来る。
ビビットに今を感じ取れられなくても、処女性は永遠だし、それは消えることはなく残る。
だからいまだにヲタを捨て切れない、現状に甘んじてはいるが、その処女性を捨てることが
出来ない俺達ヲタが、いまだにカノジョ達を追い求める要因でもあって。
だから抱えてるものと目の前の現実を楽しむこともまた一つの楽しみなんじゃないだろうか。
少女性の欠落が起こした処女性のしこり。夢と現実。
夢も現実も、結局楽しんだもの勝ちなんじゃないだろうか。

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・・・でもやっぱキャメイは黒髪だと思うんだよねぇこれが。