石川梨華論

3人ともパッツンパッツンやねぇ



つんくの「日本の女性が受け継いできた美しい心と容姿」「日本の女性が掲げ続けている、勇ましい精神といでたち」「“日本の女性のすばらしさを伝えていくのだ!”という思いを込めた」というコメントが、また酔っ払った状態でしゃべってるんじゃねーかコイツ?的な感じで素敵過ぎる。
やっぱこいつもうダメだってマジで。


しかしながら関心出来るのは、石川をユニットとして再デビューさせようって部分だ。
結論から言うと、石川は安倍や後藤のようにソロで活動できる器を備えていない。
備えていなのは別に何ら不安に思うところではなくて、大体にして安倍や後藤なんて器の娘。は
そうそういるものではなく、そんなのが娘。の中にゾロゾロいたら現状の娘。の状態なんかに
なっちゃいない。


石川が娘。の中で輝けたのは「モーニング娘。石川梨華」だからだ。
しかもその個性は娘。という多様性の混在した中で光る個性であったわけで、それが必ずしも
一個人の個性たるかと言えば、まぁそれも一概に同義であると言えない。
とみに石川に関しては元のスター禅とした雰囲気を持ち得ていたわけではなく、
娘。の進化と変遷の中において研磨されてきた、一つの「努力から勝ち得た個性」なのである。
ルックスのよしあしだけに捕らわれず、いじられキャラお嬢様キャラも娘。という中でこそ
光るものであって、それが外に向けてのベクトルで受信されるかと言われればとてもそれは疑問だ。


吉澤ひとみ」の存在も彼女の個性を表す重要なキーパーソンで、互いの陰陽性が互いを伸ばし
研磨させ光らせていることの象徴的な要素だ。
彼女なしで果たしてどれだけ石川が伸びていこうか、という部分は予想できない。
「四期」、という枠繰りも出来る。辻加護に吉澤石川という分け方も娘。内においての石川を
表す表記になっているだろう。必ず彼女には何かしらの比較級が存在していなくてはその個性が
表れることは困難だ。「藤本美貴」ほど器用ではなく「吉澤ひとみ」ほど不器用ではない、のが
石川梨華」評だ。


それと懸念される点は「美勇伝」の音楽的コンセプトだろう。
恋のヌケガラ」というタイトルとアー写から察するに、どうにもその辺が今だに見えない部分
があるのがどうにも怖い。
モーニング娘。ミュージシャンではなくエンタティナー」という持論から考えるに
楽曲も彼女達の活動を構成する重要なキーである。
しかも外に向けて発信される場合は、ビジュアルと楽曲の相互性は重視される。
そこに違和感を感じてしまうと、一般のリスナーは一歩そこに線を引いてしまう。
そして一度引かれてしまったその線を消すことは非常に困難だ。
娘。に置きかえるなら「ラブマシーン」や「後藤真希」や「辻加護」といった、奇跡的な要素が
ない限り逆転出来る日はない。奇跡に身を委ねる事は愚かで、奇跡は起きた後に奇跡だったと
感じるから奇跡なんだ、とは何かものの本であった通りだ。


石川梨華論なんてのは本当に見たままを評価することが一番手っ取り早い。
美勇伝」も見たままの評価を逸脱出来るほどの爆発力が起きるか、アイドルの枠に捕らわれ
ない、「恋愛レボリューション21」発表時期の娘。のような爆発力があるかどうかが鍵だ。
まぁ多分ムリだろうけど。