それでも人を愛していたい

http://d.hatena.ne.jp/zozo_mix/20050514#20050514f6
http://d.hatena.ne.jp/torikko/


電波男」は読んでいない。いつもアキバにプログラム関係の書籍を買いに行く時に
見掛けてはいたのだが、タイトルが「電車男」のリファインな臭いがしたから。
でも上記のblog読んでみてちょっと気になった。
いや、正しく言うと気になったのは「電波男」を取り巻く評価とか、そういうのが。


人の憂いが生み出したのが「萌え」の概念であって、それは別に他の事にも転化出来るうんぬんの
部分は非常に分かりやかったのだが、「萌え」って必ずしもそれらの代価の概念ではなくて
もう少しエモーショナルな衝動的な感じが強い、気がする。
正確に表記するならば「二次元っ娘を求める」と「二次元っ娘にダイブする」とは違う。
一くくりにするのは難しい。まぁ、細かい部分でのツッコミだけど。


上記のblogでzozo_mixさんの総評を読んで納得できる部分と、ちょっと"ヤダ"と思えるところが
あって、「恋愛至上主義」って言葉に対してもそうなんだけど、「恋愛」の概念自体に
何かしらの意味合いをつけてしまうことに、ちょっと違和感を覚えるんですよ俺は。
「恋愛」ってもっとエモーショナルなものの感じがして、本来そこには思考的要素は入ってこない
わけで、そこにある種の「戦い」を求めてしまうことに、ちょっと嫌悪感を持ってしまう。
…駆け引きが下手な男だと言いたいならそれでもいいですが。


喪闘気」の概念がまたそれで、いい大人になると外部と自己の相違性に悩むことあれ
そこには何らかしらの「折り合い」をつけることが多くなってくる。
仕事にしても友人関係でも、そして恋愛でも。
本来「喪闘気」の溜まり方は人それぞれなのだが、その溜まる量の違いに、差異があるんじゃない
かと。少なくとも、俺は自分で「喪闘気」を消化する術を持っているし(このblogもそうだし)
しかしてそれが「喪闘気」を発散させるだけのものなのだろうか、ってとこにも疑問があって。
分かり易い「仕事」に関してのストレスはある意味ロジカルに解ける場合が多いのでいいが
「恋愛」に関しての「喪闘気」はロジカルに解決することは難しいが、もっと感覚的なものが
強いので、それぞれ人によって溜まり方が違う部分に言及していれば俺のこの嫌悪感も取れる
のかもしれない。


早い話、何が言いたいかというと、結局「恋愛は中ニくらいの感覚でいいんじゃね」て事。


現代社会は情報の伝達のスピーディさと、それに伴って失ってきたのが感覚だと思うところが
あって、勿論何でも衝動的になればいいか、っつーとそう言う事ではなくて
現代人は、特に俺が思うのは「最近の日本人は考え過ぎ」じゃないか、って事があって。
最近仕事で海外の人間と顔をつき合わせる場面が非常に多くなってきたのだが
そこでもそういった感情を覚えてしまうのは、ある種の経済的ピークを過ぎた日本の持つ
人間性の欠落であって、その歪が生み出したのが「恋愛至上主義」だったり「電波男」だったり、
ってのもちょっと思うわけで。


「人と人」が「愛する」ことにもっと感覚的なものを求めてもいいと思うんですよ俺は。