アイドル・サティスファクション

リアルワールドに追われ気味な幻想世界の住人こと俺です。チーッス!
.hack」みてーなゲーム世界にダイブできる時代を早急に切望しています!


たまにNotモーヲタの人と娘。についた話したりする時間は、モーヲタには必要な時間で
娘。に対する価値観の相違を模索する作業が大部分な話題の中心になると思うんだけど
俺だったらその模索から自分と相手の娘。に対する接点を求めようとするのが面白くて
それが意外な人物と合致したりすると、更に娘。という個対象にする概念が深くなって
ヲタ視点とは違った価値観を見出すことが、即彼女達のパワーに思えてきてしまうのが
ヲタ視点的だったりするんだけどそれがまた面白いからこそモーヲタを続けていけるわけで。


アイドル・サティスファクションとも言うべき嗜好性ってどんな人にも内包していて
一般的には好きなタイプとして表面化しやすい部分が、モーヲタ的になってくると
娘。全体に対してだったり各メンバーに対してだったり楽曲に対してだったりするんだけど
各種そういった概念は共通の一片の感情から結びついてくるのは同一で
その比重が大きいか小さいかでモーヲタかそうでないかの可能性が決まってくると思うんだが
でもモーヲタじゃない人と共通項として娘。を話題に上げてディスカッションすると
その見方が単純な二極化じゃなくて、最終的には個人の嗜好性だったりに帰依してくるのが
また人間と人間との距離感と同じ概念だったりが見え隠れしたりするのが
どうにもこうにも娘。というものの存在価値の面白さにも続いていくのを自覚できる。


俺が話した人は何故か岡女体育祭を面白いと思って見ていて、でも多分それはモ−ヲタ的な
楽しみと入り口こそ違うんだけど、でもめちゃイケ岡女を通して娘。を認識できて
各メンバーの名前がピックアップして話題にのぼったりすると、俺はどうしても楽しくなって
しまってつい自分のモーヲタ的な部分を語ってしまったりするんだけど
またそれが相手に届いたりすると更に面白くなってしまうのは、どうしてもアイドルフィルター
があるという垣根を越えられる瞬間の楽しみとして、俺としては貴重な時間だと思える。


狼やモーヲタサイトなんかを巡回しているとそこら辺の感覚がなくなっていくのがイヤで
たまにここら辺を封印すると娘。に対する価値観が違ってくると思えるんですよ。
要は何が言いたいかッつーと、そんなに必死になるんじゃねぇよって事なんですよ。
ヌルく見ていこうじゃないかヌルくさぁ。